- エリン音楽の歴史 (3) -
The History of Erinn Music (3)
ローエイズ 作
交通手段がなかった古代のウルラ大陸で、町と町の間で何かを伝えるのは
ほとんどバードと言われる吟遊詩人の役割だった。彼らは自分たちが経験した
ことや周りから聞く伝説、噂を詩で人々に伝え、広げた。
詩は音律と歌詞が一緒になって、成り立つもので、単純に話を聞かせてあげるより
内容が歪曲される確立が低いという良い点があった。
そして、それは魔族との間で起きたモイトゥラ1、2次戦争からより劇的な
物語を含むものに変わる。本来マビノギは戦争で起きた英雄たちの戦いを
より生々しく、格好良く伝えることが目的だったが、後期に入って、一部の事実の
基に多くの部分を創作して作られたものもあった。戦争が終わって、エイリフ王国が
安定期になって、個人的な規模で発展していた音楽はより大きな規模の管弦楽に
発展するようになり、前者は叙事劇、後者はミュージカルといわれる創作劇に分けられた。
音楽が叙事的な発展と巨大化、複雑化するにつれ、段々と音楽を勤める人たちが
専門的になった。誰もが手軽に楽しめる音楽から、芸術性を
持つ作家たちが作った音楽をほかの人の手で楽しめる方法が段々と広がった。単調な
単旋律の音楽が和声楽に、和声楽が対位法を使う多声楽に発展したのもこの時期です。
あいにく、専門的な音楽家たちの登場で、それまで主にエリンの音楽発展を導かせた
吟遊詩人たちは没落したようにみえた。そんな中で彼らが新たな突破口を見つけたのは
ミレシアンと呼ばれる一団の冒険者たちが現れ始めてからだった。
ミレシアンはトゥアハ・デ・ダナンとは違って、一箇所に定着しないで、主に冒険と開拓を
するのが日常な集団だった。彼らはパルホルロン族の居住地であるウルラ
大陸の北部地方から現れて、国家に属しない状態で一定の町や
都市を根拠地として生きていた。よって、彼らには巨大な規模の人数と準備が
要る管弦楽は難し過ぎて、面倒なことでしか思えなかった。その反面、いつ、どこでも簡単に
楽器さえあればできる吟遊詩人たちの詩は手軽に近づける対象になってくれた。
吟遊詩人たちの詩は険しい生活を繰り返す冒険者たちの身も、心も慰めてくれて、
情緒を和らげ、治療効果があって、独特の方法を使って音律に
マナを注ぎ込むことによって、まるで魔法を使っているように人々の心身を補強させる
音楽が作られた。
(つづく)